2016年05月03日

若木 竹丸

 東京都文京区本郷出身のボディビルダー。
 身長162cm、体重69kg。

虚弱体質のお坊っちゃん
 1911年1月20日に警官の父と料理屋経営の母の間に生まれる。
 裕福な家庭で、体も虚弱体質だった。

目覚め
 中学生の時にイジメをきっかけとして肉体を鍛え始める。
 17歳の時に古本屋でユ−ジン・サンド−の「体力養成法」という本と出会い、本格的に体を鍛え始める。
 毎日10時間以上のトレーニングをし、時には失神。
 毎晩サンドーの本を抱えて寝ていたらしい。

いつでもトレーニング
 トイレに行く時には、例え就寝時でも必ずダンベルを上げてから。
 戻ってくる時にも鴨居で懸垂。
 友人と食事中でも、空いた手で常にハンドグリップを握っていた。
 モチベーションが上がらない時は、「おい!今世界中のどこかで、お前と同じような奴がお前と同じようなトレーニングしているかもしれない。それでもいいのか!」と自分自身に喝を入れていた。

怪力
 人差し指二本で指立て伏せできる。
 頭だけでブリッジをし、その上に大人五人が立てた。
 ベンチプレスの自己最高記録は約228kg。
 フロワープレスでは、300キロ以上を押し上げた。

最強の素人
 ボクシングを習おうと日本拳闘倶楽部に体験入門。
 後に「 日本ボクシングの父 」と呼ばれる渡辺裕次郎達とスパーリングをし勝利。
 柔道では無段にもかかわらず、講道館に昇段審査を受けに行く。
 「何人倒せば五段になれるのか」と訪ねたら、初段から始める様にと諭された。
 腕相撲では全日本王者と対戦し、圧勝。
 相手は腕相撲に人生を賭けているのに簡単に倒してしまったため申し訳なく感じ、それ以来、腕相撲の場に姿を見せなくなった。

殺人事件
 地回りのヤクザに制裁を加え殺害してしまった事がある。
 相手がドスを抜いていたため、正当防衛が成立し無罪。

ヘビー・スモーカー
 タバコを一日100本も吸うヘビースモーカーだった。
 コーヒーも大好き。

仕事
 戦後は銭湯の焼け跡で生活をし、神田で古本屋を営んでいた。

死ぬまでトレーニング
 晩年は脳梗塞で倒れ、半身不随の体になったが、腕の力こぶを40cm以下にしたくないと言ってトレーニングを続けた。

怪力法
 自身のトレーニング法を「怪力法」という本にまとめた。
 力道山や大山倍達などにも多大な影響を与えたが、あまり世に出まわる事はなかった。
 現在ではプレミアが付いている。

死去
 2000年、88歳で亡くなる。
 遺体はあまりにも大きかったため、相撲取り用の特別サイズだったらしい。



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ジョン・レノン

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 ザ・ビートルズのメンバーで、ヴォーカル・ギター・作詞作曲を主に担当した。

複雑な生い立ち
 1940年10月9日、リヴァプールで誕生。
 父親は航海中で、母親は他の男性と同棲していたため、叔母のもとで育てられる。
 父の帰国後は父親に引き取られるが、数週間で母親に連れ戻される。
 父親はその後、蒸発。

ロックへの目覚め
 エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴いて感動。
 ギャロトーン・チャンピオンというギターを新聞の通信販売で購入した。
 その後、バンド「クオリーメン」を結成。
 友人からの紹介でポール・マッカートニーで出会い、ポールの紹介でジョージ・ハリスンと出会う。

母、事故死
 18歳の時に、母親のジュリアが非番の警察官が運転する車にはねられて亡くなっている。

ザ・ビートルズ誕生
 1960年にバンド名をザ・ビートルズに変更。
 翌年、ブライアン・エプスタインと出会い、マネージメント契約を結ぶ。
 そして、リンゴ・スターが加入し、1962年10月5日「ザ・ビートルズ」としてレコード・デビューを果たした。

シンシア・パウエル
 1962年にシンシア・パウエルとできちゃった結婚している。
 長男であるジュリアン・レノンが生まれるが、子育ての仕方がよくわからなかった。
 5才の息子に「その糞みたいな笑い方を止めろ」と怒った事もある。
 ジュリアンは父親よりもポールとよく遊んだと語っており、ジョンよりもポールと一緒に遊んでいる写真の方が多かったらしい。

キリスト教発言
 1966年、ロンドン・イヴニング・スタンダード紙のインタヴューで「キリスト教は消えてなくなる。僕らは今やイエスよりも人気がある」と言った趣旨の発言をしている。
 この発言は後に問題となり、ラジオでビートルズの曲が禁止されたり、レコードやグッズが燃やされたりした。
 後に謝罪。

オノヨーコ
 1966年にロンドンのインディカ・ギャラリーでオノ・ヨーコに出会う。
 当時、日本や東洋文化に興味を抱いていた事から、ヨーコのアートに強く惹かれる。
 ヨーコの個展で、YESという事場を虫眼鏡で見るというアートがあり、それをとても気に入ったらしい。
 後に交際を始めると、シンシアと離婚し、ジョンはヨーコにべったり。
 ヨーコと共にプラスチック・オノ・バンドとしての活動や、ベトナム戦争に対する反対と平和を求める活動に参加した。
 あまりにもヨーコの影響が強すぎたため、メンバーとの溝が深まることも。
 ビートルズが解散すると、政治的活動に積極的に参加するようになり、ますますヨーコの影響は強くなる。

ポール・マッカートニーとの関係
 レノンとポールとの仲は時期によってとても仲が良かったり、悪かったりする。
 一番関係が悪かったのが、おそらくビートルズの解散前後。
 しかし、本当に嫌いという訳ではなく、「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ。他の奴が言うのは許さない」と発言したり、「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった。」とも述べている。

日本
 オノ・ヨーコが日本人という事もあり、よく来日していた。
 加山雄三や内田裕也などとも付き合いがある。

性的指向
 性に対しては非常にオープン。
 バイセクシャルだったという噂もある。
 ヨーコの事が好きだったのは事実だが、その傍で他の女性と関係を持ったりもしていた。 

ドラッグ中毒
 ドラッグの常習者でもあり、ヘロインにまで手を出していた。

ラブ&ピース
 平和主義者であるが、グループ内でさえ揉め事が多かったり、障碍者を馬鹿にしたパフォーマンスをした事もあったりと、結構アレな所がある。

殺害
 1980年12月8日、スタジオ作業が終わりリムジンでアパートの前に到着した後、マーク・チャップマンに撃たれる。
 すぐさま病院に搬送されるが死去。
 殺害に関しては陰謀説まである。



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2015年08月15日

道鏡

 奈良時代末期の法相宗の僧。

天皇の愛人
 病気になった女性の孝謙上皇(後の称徳天皇)を祈祷で治し、その功績で太政大臣禅師、最終的には天皇に順ずる地位である法王と異例の出世。
 二人の間には男女の関係があったと言われ、称徳天皇は道鏡を溺愛した。
 なお、称徳天皇は生涯独身を貫き通し、天皇でありながら子を宿すこともなかった。

天皇になろうとする
 上皇を味方につけた道鏡はやりたい放題。
 邪魔者がいなくなった後は、宇佐八幡宮のお告げとして「道鏡を皇位につければ世の中は平和になる」と言わせる。
 しかし、称徳天皇が崩御し、後ろ盾を失うと下野薬師寺に追放され、その二年後、この世を去る。

巨根説
 あそこがとても大きかったという伝説がある。
 江戸時代には川柳で「道鏡は すわるとひざが 三つでき」と詠まれた事も。
 またオサムシの一種で非常に大きな交接器をもっているものは「ドウキョウオサムシ」と命名されていたりする。

山芋
 忙しくて称徳天皇の相手をする暇が無くなってくると、道鏡は「これで我慢してくれ」と山芋を称徳天皇に献上した。
 称徳天皇はそれを道鏡のアソコの代わりにして使用したら、体内で折れて取り出せなくなり、かぶれてしまい、これが原因で崩御したという俗説があったりする。


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