2016年05月03日

ジョン・レノン

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 ザ・ビートルズのメンバーで、ヴォーカル・ギター・作詞作曲を主に担当した。

複雑な生い立ち
 1940年10月9日、リヴァプールで誕生。
 父親は航海中で、母親は他の男性と同棲していたため、叔母のもとで育てられる。
 父の帰国後は父親に引き取られるが、数週間で母親に連れ戻される。
 父親はその後、蒸発。

ロックへの目覚め
 エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴いて感動。
 ギャロトーン・チャンピオンというギターを新聞の通信販売で購入した。
 その後、バンド「クオリーメン」を結成。
 友人からの紹介でポール・マッカートニーで出会い、ポールの紹介でジョージ・ハリスンと出会う。

母、事故死
 18歳の時に、母親のジュリアが非番の警察官が運転する車にはねられて亡くなっている。

ザ・ビートルズ誕生
 1960年にバンド名をザ・ビートルズに変更。
 翌年、ブライアン・エプスタインと出会い、マネージメント契約を結ぶ。
 そして、リンゴ・スターが加入し、1962年10月5日「ザ・ビートルズ」としてレコード・デビューを果たした。

シンシア・パウエル
 1962年にシンシア・パウエルとできちゃった結婚している。
 長男であるジュリアン・レノンが生まれるが、子育ての仕方がよくわからなかった。
 5才の息子に「その糞みたいな笑い方を止めろ」と怒った事もある。
 ジュリアンは父親よりもポールとよく遊んだと語っており、ジョンよりもポールと一緒に遊んでいる写真の方が多かったらしい。

キリスト教発言
 1966年、ロンドン・イヴニング・スタンダード紙のインタヴューで「キリスト教は消えてなくなる。僕らは今やイエスよりも人気がある」と言った趣旨の発言をしている。
 この発言は後に問題となり、ラジオでビートルズの曲が禁止されたり、レコードやグッズが燃やされたりした。
 後に謝罪。

オノヨーコ
 1966年にロンドンのインディカ・ギャラリーでオノ・ヨーコに出会う。
 当時、日本や東洋文化に興味を抱いていた事から、ヨーコのアートに強く惹かれる。
 ヨーコの個展で、YESという事場を虫眼鏡で見るというアートがあり、それをとても気に入ったらしい。
 後に交際を始めると、シンシアと離婚し、ジョンはヨーコにべったり。
 ヨーコと共にプラスチック・オノ・バンドとしての活動や、ベトナム戦争に対する反対と平和を求める活動に参加した。
 あまりにもヨーコの影響が強すぎたため、メンバーとの溝が深まることも。
 ビートルズが解散すると、政治的活動に積極的に参加するようになり、ますますヨーコの影響は強くなる。

ポール・マッカートニーとの関係
 レノンとポールとの仲は時期によってとても仲が良かったり、悪かったりする。
 一番関係が悪かったのが、おそらくビートルズの解散前後。
 しかし、本当に嫌いという訳ではなく、「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ。他の奴が言うのは許さない」と発言したり、「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとてもよい選択だった。」とも述べている。

日本
 オノ・ヨーコが日本人という事もあり、よく来日していた。
 加山雄三や内田裕也などとも付き合いがある。

性的指向
 性に対しては非常にオープン。
 バイセクシャルだったという噂もある。
 ヨーコの事が好きだったのは事実だが、その傍で他の女性と関係を持ったりもしていた。 

ドラッグ中毒
 ドラッグの常習者でもあり、ヘロインにまで手を出していた。

ラブ&ピース
 平和主義者であるが、グループ内でさえ揉め事が多かったり、障碍者を馬鹿にしたパフォーマンスをした事もあったりと、結構アレな所がある。

殺害
 1980年12月8日、スタジオ作業が終わりリムジンでアパートの前に到着した後、マーク・チャップマンに撃たれる。
 すぐさま病院に搬送されるが死去。
 殺害に関しては陰謀説まである。



posted by 偉人マニア at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 男性歌手 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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