2013年08月13日

アンディ・ウォーホル

伝記 ウォーホル―パーティのあとの孤独

ポップアートのカリスマ
 アメリカのアーティスト。
 大量生産の容易なポップなイラストで一世を風靡。
 音楽や映画などにも手を広げ、その影響力は非常に大きい。

移民の子
 両親はチェコスロバキア出身で、ペンシルベニア州で移民の子として生まれた。

虚弱
 体は虚弱で、肌は白く、日光アレルギー。
 かなり過保護に育てられた。

繊細
 幼少の頃、学校の女の子に引っぱたかれた事がトラウマで病気になったらしい。

ポップアート
 33歳の時に、身近にあったスープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を作り、ポップアートを生み出した。
 シルクスクリーンで大量生産も可能で、大衆に人気があった。

ファクトリー
 35歳のなると、ニューヨークにファクトリーというスタジオを設立。
 アルミホイルと銀色の絵の具で覆われた空間であった。
 ミック・ジャガー、ルー・リードなど数多くのアーティストがファクトリーを訪れた。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのプロデュースを行っている。
 ジャケットのバナナの絵は、アンディ・ウォーホールの代表作でもある。

映画
 映画製作にも積極的で、60作以上も作っている。
 しかし、二人のゲイが延々と性器を舐めあう様な実験的過ぎる内容のものが多く、一般に公開されたものは少ない。

狙撃
 40歳の時、「全男性抹殺団」という団体の女性に拳銃で狙撃されている。
 肺や胃を銃弾が貫通し、重体となったが、何とか一命をとりとめる。
 実行者であるバレリー・ソラナスはウォーホールの映画に出演した事があり、ファクトリーの常連でもあったとか。

イマ人
 TDKのカセットテープのCMにも出演した事がある。
 たどたどしい日本語でお茶の間に強烈なインパクトを与えたとか。


 
同性愛
 同性愛者でもあり、トルーマン・カポーティにストーカーまがいの事をしていたとも?

カツラ
 銀色の髪型がトレードマークだが、それはカツラだった。
 死後、オークションにかけられ、1万800ドルで落札された。


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2013年07月03日

キース・ヘリング

Session mit Keith Haring, 20 Fotografien


ストリートアートのパイオニア
 1980年代のアメリカの芸術家。
 シンプルでポップなイラストは一度見たら忘れられず、Tシャツのデザインなどでも有名。

サブウェイ・ドローイング
 ニューヨークの地下鉄構内で広告掲示板に黒い紙を貼り、その上にチョークでイラストを描くという活動。
 これにより一躍有名に。
 しかし、迷惑行為で警察にも何十回と捕まっている。

影響
 父親は漫画家で、小さいころはディズニーからも影響を受けた。
 後に友人になるアンディー・ウォーホルからも多大な影響を受けている。

一発勝負
 絵を描く時は、下書きをせず一回で仕上げる。
 しかも一度描きだすと完成まで休まず、徹夜もざらだったとか。

POP SHOP
 キースの絵は大量生産に向いており、たくさんのグッズも生産された。
 POP SHOPという専門店もオープン。
 芸術家からは批判される事もあったが、本人によれば世の中の流れに従っただけらしく、営利も求めてはいなかった。

偽物が氾濫
 キースのイラストはTシャツや小物などにもよく使用されているが、複雑なイラストではないため偽物も多い。

ベルリン壁画
 ベルリンの壁に人が繋がっている絵を描いたこともある。

誕生パーティー
 誕生パーティーには、アンディー・ウォーホール、マドンナ、ダイアナ・ロス、カルバン・クラインなどセレブが集結。
 3000人近く集まったらしい。

同性愛
 同性愛者でもある。

エイズ
 エイズ感染者であり、31歳の若さで死去。
 生前やAIDS撲滅活動などにも熱心だった。


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2010年10月09日

パブロ・ピカソ

常にチャレンジャー
スペインのマラガ生まれの画家。
キュービズムという独特のタッチの絵が印象的だが、作風がめまぐるしく変化した画家としても有名であり、過去には興味がなく、同じ事をするのが大嫌いだったらしい。
もちろんちゃんとした?絵も描ける。というよりも子供の頃の絵も上手すぎる。
生涯におよそ20000点以上の絵画を残しており、ギネスブックには最も多作な美術家であると記されている。

じゅげむじゅげむ
ピカソの本名は、パブロ・ディエーゴ・ホセー・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マーター・パトリシオ・クリート・ルイス・イ・ピカソ。
自分でもよく言い間違えたりしたため、初めと終わりだけとってパブロ・ピカソ。

プレイボーイ
結婚暦は二回だが、三人の女性との間に四人の子供がいる。
計算があわないが、かなりの遊び人だったらしい。

束縛
20代の前半、フェルナンド・オリビエという女性と付き合っていたが、他の男に見られるのが嫌で部屋から出さなかったらしい。
フェルナンドが友人と旅行に行った時には、こっそりと後をついていったりもしている。
しかし、ピカソは浮気相手と一緒に行ったため、修羅場になった。

好奇心
45歳の時、オルガという妻がいたが、17歳のマリー・テレーズという女性に「君の絵を描きたい」と必死にアプローチしている。
好奇心旺盛なピカソは、未成年のマリー・テレーズ相手にあらゆる体位を試したらしい…。
そして、オルガと結婚していながら、マリー・テレーズとの間に娘を産んでいる。
資産の半分を渡すのが嫌で、オルガとは離婚しなかったらしい。

悪趣味
マリー・テレーズとの間に娘が生まれてすぐ、ドラという女性と関係を持つピカソ。
当然、問題は起き、アトリエでマリー・テレーズとドラが喧嘩を始める。
ピカソは「どっちが選ぶの?」と詰め寄られるが、「戦って決めれば良い」と言い、二人の女性が取っ組み合いの喧嘩をしている様子を笑顔で見ていたらしい。
その当時、ピカソは「ゲルニカ」という争いの空しさを表現した作品を書いている。

老いてなお盛ん
60歳を過ぎてからフランソワーズ・ジローという女性と同棲生活を始めたピカソ。
二人の間には二人の子供が生まれた。
しかし、ジローはピカソの我侭で支配的な性格と女性に対する扱い方に愛想をつかし、子供を連れて出て行く。
ピカソは「俺の元から去ると言う事は、砂漠へ行く事と同じだぞ」と引き止めたが、ジローは「だったら私はそこで生きてみせる」と言い返し、他の男性と結婚した。

ピカソの復讐
フランソワーズ・ジローは、ピカソを捨てた唯一の女性と言われているが、ピカソはジローから子供の認知を求められたとき、復縁を条件に出した。
ジローはその気になって離婚するが、既にピカソは別の女性と結婚していた。


ピカソは幼い頃から鳩が大好きだったらしい。
フランソワーズ・ジローとの間の娘にもパロマ(スペイン語で鳩)と名づけている。
このパロマはジュエリー・デザイナーとしても有名で、ティファニーのデザイナーである。

容疑者ピカソ
ルーブル美術館からモナリザが盗まれた時、友人のギヨーム・アポリネールが容疑者としてピカソの名前を上げたため、逮捕されている。
もちろん、犯人では無かったため、一週間後には釈放。

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