2014年11月09日

安藤百福

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「チキンラーメン」と「カップヌードル」を開発した、日清食品株式会社の創業者。

台湾生まれ
 1910年に日本統治時代の台湾で生まれる。
 幼少期に両親を無くし、繊維問屋を経営する祖父母のもとに預けられる。

経営の才能
 22歳の時に父の遺産をもとに繊維商社「東洋メリヤス」を設立。
 事業は成功し、大阪市に日東商会を設立。貿易業務だけでなく光学機器の製造や飛行機エンジンの部品製造などにも手を広げる。

戦争
 戦争によって全ての資産を失う。
 また、部品の横流し疑惑により、憲兵から拷問を受けた事もある。

戦後
 戦争が終わるとすぐさま大阪で百貨店経営を開始。
 また、大阪南部の泉大津市で製塩事業も開始し、失業者や若者に対して仕事を与えた。

帰化
 戦後、台湾出身者は日本か中華民国かの国籍選択が必要となったが、中華民国を選ぶ。後に日本に帰化。
 これによって戦前から所有していた資産を引き継ぐ事に成功。

無罪
 GHQに脱税容疑で逮捕、巣鴨プリズンに収監されたことがある。
 二年の法廷闘争の末、和解。無罪放免となる。

また無一文
 信用組合の理事長に就任するが、資金繰りに行き詰まり倒産。理事長であった安藤は負債を弁済するはめに。
 47歳にして個人資産を全て失い、借家だけが残った。

這い上がり
 無一文となった後、自宅の裏庭の小屋でインスタントラーメンの研究を始める。
 一年をかけて開発に成功し、チキンラーメンとして販売。
 瞬く間にヒット商品に。

日清食品株式会社
 チキンラーメンのヒットにより、サンシー殖産を日清食品株式会社に商号変更。
 「日々清らかに、豊かな味を作ろう」との思いから名づけられた。
 過去の失敗から無借金経営を貫き、やがて、日清食品株式会社は日本を代表する食品企業となる。

みんなのラーメン
 チキンラーメンの類似商品も数多く出回った。
 当初は商標や特許を取り、類似商法を駆逐しようとしたが、やがて各メーカーに使用許諾を与え、特許権を公開・譲渡している。
 その際、「日清食品が特許を独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展した方が良い」という言葉を残している。

カップヌードル
 海外進出の視察としてアメリカを訪れた際、チキンラーメンを割ってコップに入れ、フォークで食べる姿を見て、カップ麺の構想を思い立つ。
 すぐさまカップヌードルを商品化に取り掛かるが、初めはあまり売れなかった。
 しかし、連合赤軍あさま山荘事件のテレビ中継で機動隊がカップヌードルを食べている姿が映され、視聴者からの問い合わせが殺到。
 これが宣伝となり、売り上げも爆発的にあがる。

インスタントラーメンに害は無い?
 健康に害が無いことを証明するために、毎日インスタントラーメンを食べていたらしい。
 結果、96歳まで長生きした。


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2010年09月19日

平賀源内

多才
本草学という学問が専門だったが、発明家、医者、作家、蘭学者、画家などとしても有名で、その才能は多岐に渡る。

初めての発明
初めての発明は12歳の時。
徳利を供えると天神様の顔が赤くなるという、カラクリお神酒天神。

男色
男色家であった為、生涯独身。
歌舞伎役者などが特に好みのタイプだったらしい。

ウナギ屋の救世主
土用の丑の日にウナギを食べるという風習は、夏場の売り上げ不振に悩んだウナギ屋に頼まれて、平賀源内が考案した。

何でも屋
歯磨き粉のCMソングを作ったり、清水餅の広告コピーを作った事もある。

画家
絵の才能もあり、画家としても有名。

多才がゆえに
平賀源内はたしかに素晴らしい才能を持っていたが、学問ではなかなか実績を残せなかった。
事業も色々と手がけてみるが、どれも失敗に終わる。
一番有名なエレキテルについても、壊れたエレキテルを修理しただけで、電気の知識も無いため、ただの見世物に終わってしまった。

被害妄想
平賀源内は被害妄想も凄かったらしい。
大工と一緒に仕事をしている時も、大工が見積書を盗んだと勘違いし、切り殺してしまった。
そして、この事件がきっかけで牢獄に。
最後は後悔のなか絶食し、獄死。


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2010年09月06日

ノーベル

ノーベル賞
ノーベルといえば、ノーベル賞の提唱者として有名。
ダイナマイトの開発で巨万の富を築き、死後、莫大な遺産を科学技術、文学、平和などに貢献した人物に賞を贈るようにと遺言を残した。

逆恨み?
ノーベル賞には数学の分野が無いが、これはノーベルが好きな女性を数学者に奪われてしまったため創設されなかったという説がある。

悩める偉人
自身の開発したダイナマイトが戦争でも使われていたため、「死の商人」と呼ばれるなど、ノーベルもかなり悩んでいたらしい。

兄も立派
兄のローベルトとルドウィッヒはロシアの石油産業の生みの親でもある。

貢君
恋愛経験に乏しく、生涯を通じて独身だったノーベル。
しかし、23歳年下のゾフィー・ヘスという女性とは、20年以上も付き合いがあった。
ただ、このゾフィー・ヘスという女性がなかなか曲者で…。
ノーベルはゾフィーには218通の手紙を残しているのだが、彼女からは「お金をくれ」との返事ばかり。
散々、ノーベルにお金を貢がせたあげくに、ゾフィーは他の若い将校との子供を生む。
浮気発覚後もノーベルはお金を送っていたというのだから、ノーベルも情けないが…。
ノーベルの死後、ゾフィーはノーベルから受け取った手紙をノーベル財団に高額で買い取らせた。


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