2014年08月14日

梶原 一騎

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 日本の漫画原作者。
 本名は高森朝樹。
 主にスポーツ漫画を中心に描き、「スポ根もの」というジャンルを確立。
 代表作は、「空手バカ一代」「タイガーマスク」「巨人の星」「あしたのジョー」など。

家族
 父親は編集者の高森龍夫。
 弟は空手家の真樹日佐夫。

幼少時代
 幼少時から非常に凶暴でケンカばかりしていた。
 私立小学校を退学させられ、公立に転入させられてもいる。

学歴詐称
 学歴は高校中退だが、本人は長らく早稲田大学卒と詐称していた。

スポ根
「スポーツ」と「根性」を合成した「スポーツ根性もの」というジャンルを確立した。
 梶原作品の多くは、主人公が血のにじむような特訓をし、天才型のライバルを打ち破っていく。

設定ミス?
 明日のジョーで威圧感を出すために力石徹の体をかなり大きくした。
 そのためジョーと対戦するはめに力石は過酷な減量を余儀なくされる。

適当
 プロレススーパースター列伝に代表される様に、適当な説をあたかも本当にあったかの様に書いたりする事も多かった。
 ファンは梶原流のファンタジーと理解していたが、一人歩きしてしまいそのまま定説とされているエピソードも多くあったりする。

大山倍達
 1954年頃、石を抱えて「この石を割ってくれませんか?」とお願いしたのが、大山との出会い。
 大山の武勇伝に心惹かれ、空手バカ一代を描く事によって大山も人気者に。
 一時は義兄弟の関係にまでなるが、1980年のウィリー・ウィリアムス対アントニオ猪木戦で確執が起こり仲たがいしてしまう。

犯罪歴
 マガジン編集者に対する傷害事件で逮捕されている。
 他にも暴力団とともにアントニオ猪木監禁事件を起こしたり、ホステスに暴行未遂をおかしたりもしている。
 あまりにも問題を起こしすぎたため、最終的には干された。

アルコール依存
 1983年、長年のアルコール依存や暴飲暴食がたたり、壊死性劇症膵臓炎に。
 死亡率が100%近い病気で、「あと2時間の命」とまで宣告されるが、奇跡的に復活。
 しかし、1987年に体調不良となり死去。

ギャグ漫画家をリスペクト
 自分には描けないからと、ギャグ漫画家を尊敬していた。
 小林よしのりに茶化されても不問にしたり、赤塚不二夫とは飲み仲間であった。


 台湾の有名タレント白冰冰と再婚し、2人の間に白暁燕が生まれている。
 娘はテレビ出演などもする人気タレントになっていくが、身代金目当てで誘拐され惨殺されている。
 この事件は台湾を揺るがす程の大事件となり、死刑制度の存続にまでつながっている。


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2013年12月21日

やなせたかし

何のために生まれてきたの? (100年インタビュー)

 本名は柳瀬 嵩。
 アンパンマンの生みの親として有名。

遅咲きの漫画家
 大正8年に東京で生まれる。
 高校卒業後に田辺製薬に就職するが、徴兵されて戦場に。
 終戦後は高知新聞に入社。
 上京後は三越でグラフィックデザイナーとして活動し、漫画を描き始める。
 50代になると、絵本「それいけ!アンパンマン」を出版。
 シリーズを重ねるにつれ人気が出て、テレビ化もされ一大ブームに。
 総売り上げは一兆を超える。
 キャラクターは全てで1500種類以上いるらしく、作者でさえ把握しきれていないらしい。

初期のアンパンマン
 元祖アンパンマンは太ったおっさんだった。
 その後、人間でなくなりアンパンになるが、汚らしい服装で顔もどこか気持ち悪く、指も五本きちんとあった。
 また、飢えた人に自分の顔を差し出したり、最後は顔が半分になったりと、見方によってはグロい内容で酷評された。
 その後、徐々にアンパンマンの外見は可愛らしくなり、子供達のヒーローに。

正義のヒーローとは?
 従軍経験のあるやなせは、「人生で一番つらい事は食べられない事」と考えていた。
 正義というものは信じられず、正義のヒーローと言いながら空腹に苦しむ人間へは手を差し伸べない。
 正義の味方だったら、まず食べさせること、飢えを助ける、との考えからアンパンマンが生まれた。
 アンパンの理由は「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である」との考えがあったらしい。

お金持ちの余裕
 アンパンマンによって毎年何十億もの収入を得る様になるが、私生活は地味だった。
 お金にあまり執着せず著作権に関する事も非常に寛容だった。
 町のパン屋さんが勝手にアンパンマンのパンを販売しても、見逃してもらえるケースがあったとか…?

作詞
 「手のひらを太陽に」の作詞をしている。
 この曲は後に教科書にまで載る。
 アンパンマンのテーマソングもやなせ作詞によるもので、特攻隊に志願して戦争で亡くなった弟へ向けて作られたという説がある。

朝食
 朝食はやはりパン食。
 しかも自家製で製パン機まで所有していたらしい。

長生き
 年とともに目や耳も悪くなり、癌のせいで腎臓も片方がなく、すい臓は三分の一切除。
 胆嚢もなく、腸閉塞で腸を切り、心臓にはペースメーカーが入っているが、90歳を過ぎても現役で活動を続けていた。
 老人のアイドルとしてオイドル(老いたアイドル)を自称し、「人生、90歳からおもしろい」という本まで書いていたが、94歳で亡くなる。
 遺産は400億以上もあるらしいが、妻に先立たれ、子供もいないため、その行方が注目されている。


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2013年07月11日

赤塚不二夫

これでいいのだ―赤塚不二夫自叙伝 (文春文庫)

ギャグ漫画の王様
 日本のギャグ漫画家。
 代表作は、おそ松くん、ひみつのアッコちゃん、天才バカボンなど。
 個性的な登場キャラや、一般にも浸透したギャグなど影響力は多大。

生い立ち
 満州生まれで、六人兄弟の長男。
 バカボンのパパは父親をモデルにしていたらしいが、昔は非常に厳しくて苦手だったらしい。
 戦後、父親がソビエトに連行され、残った家族で奈良に移り住むものの、病気や養子に出されたりで兄弟は半分に減る。

影響
 貸本屋で手塚治虫のロストワールドと出会った事で漫画家になる事を決意。
 他にも映画が好きで、バスターキートンやチャップリンにも影響を受けている。

トキワ荘
 石森章太郎を慕ってトキワ荘に入居している。
 トキワ荘一の美青年だったとか。

少女漫画家
 昔は少女漫画もよく描いていた。

極貧時代
 売れない時代は風呂に行けず炊事場の流しを使ったり、机の代わりにベニヤ板を使用したりしている。

スターシステム
 スターシステムを採用し、イヤミやチビタなどの人気キャラは他の作品にもよく登場する。

ハタ坊
 今の時代では考えられないが、おそ松くんには、頭に日本国旗を突き刺したハタ坊というキャラが登場する。
 共産党の機関紙「赤旗」の主人公でもあった。

バカボンの由来
 赤塚不二夫のヒット作。
 バカボンの語源は梵語の「薄伽梵」(ばぎゃぼん)に由来するらしいが、バカなボンボンの意味だと本人は語っている。

怒らない
 天才バカボンの原稿を失くした編集者に対しても、怒らず、まだネームがあるから大丈夫と言ったとか。
 その後、編集者が落ち込まない様に気遣い、一緒に飲みに誘う。
 失くした原稿は後日見つかるが、赤塚はその原稿を編集者にプレゼント。

シェー
 おそまつ君に登場するイヤミのギャグ。
 一世風靡し、皇太子殿下やジョン・レノン、ゴジラまで、シェーのポーズをした事がある。

ぼったくられ続ける
 ぼったくりバーで法外な請求をされても連日通い続けた。
 最終的には店の経営者が嫌がらせかと勘違いして、「勘弁してくれ」と謝った。

プレイボーイ
 女好きで浮気も多数。
 ラブホテルをツケで利用するほど通い、浮気に使ったホテル代を嫁に支払ってもらった事もある。
 娘が17歳の時、21歳の愛人と娘と三人で旅行に行き、夜は娘を一人にして愛人と過ごした事もある。

二人の嫁
 前妻から再婚を強く勧められ、スタイリストの眞知子と結婚。
 娘のりえ子は前妻との間の娘になるが、みんな仲良し。

菊千代
 猫が好きで、菊千代と名付けた猫を飼っていた。
 死んだフリやバンザイができ、CMにも出演した事がある。

アルコール依存
 酒が大好きでアルコール依存症に。
 癌の記者会見でも酒を飲んでいた。

植物状態
 脳内出血で倒れてからは、数年間植物状態に。
 肺炎により72歳で亡くなる。

司会者
 まんが海賊クイズというテレビ番組で黒柳徹子とともに司会を担当している。
 黒柳徹子は赤塚の元にいたタモリの才能をいち早く見抜いた人物でもある。

タモリ
 上京してきたタモリを自宅に居候させ、芸能界入りの手助けをしている。
 家賃17万円のマンションと毎月20万円の小遣いを渡し、ベンツも乗り放題という待遇。
 よく二人でどれだけ笑いのためにバカになりきれるか挑戦していた。
 同性愛に挑戦し、裸で抱き合った事もある。
 赤塚がケツにロウソクを突っ込んで後ろ向きに歩いてきた時は、タモリでさえ、この人には敵わないと思ったらしい。
 赤塚が不遇の時代は、タモリから「会社の顧問になってくれ」と頼まれ、毎月お金が振り込まれたり、「車いらないでしょ」と言われ高い金額で買い取ってくれたりもしている。
 これらは赤塚のプライドを傷つけないようにとのタモリの心遣い。
 だが、赤塚は「芸人なんていつ人気がなくなるか分からない」と、一円もタモリから受け取ったお金は使っていない。
 赤塚の葬儀で、タモリは「私もあなたの数多くの作品の一つです。」との弔辞を読んでいる。

posted by 偉人マニア at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 漫画家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする