2013年09月22日

淀川長治

日曜洋画劇場45周年記念 淀川長治の名画解説DX [DVD]

 長年にわたって「日曜洋画劇場」の解説を務めた映画評論家。
 番組最後に決まって「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」と言うことからサヨナラおじさんとも呼ばれたりする事も。

淀川家
 兵庫県で芸者置屋の跡取りとして生まれる。
 実母は父の本妻の姪。
 本妻が自分に子供ができないため、妾として姪を推薦したらしい。
 本妻は長治が生まれてまもなく死去。
 実母がその後、本妻になる。

映画少年
 映画は四歳の頃から見まくっている。
 面白い映画を見つけると人に紹介せずにはいられなかったらしい。
 中学時代には「映画ばかり観ずに勉強をしろ」と先生に説教をされると「公開中のステラ・ダンスを観てから、それを言ってください」と反論。
 後日、先生が劇場に足を運んだところ感動してむせび泣き、以降は学校行事として映画を見に行くようになった。
 その際も作品の選定は淀川が一任。

チャップリン
 ユナイテッド・アーティスツの大阪支社時代、新婚旅行で極秘に神戸に立ち寄ったチャップリンにアポなし取材。
 気に入られ、五分の予定が一時間になり、神戸のガイドも依頼された。
 それから15年後、ハリウッドで再開した時も第一声は「アイ・リメンバー・ユー」で、スィートボーイと呼ばれた。
 その時、チャップリンの白髪を見て泣きそうになり、チャップリンから肩を抱かれる。

黒澤明
 東宝映画の宣伝部時代に黒澤明と出逢い、生涯の親友に。

日曜洋画劇場
 1966年から日曜洋画劇場の解説者としてテレビ出演。
 独特の語り口から人気者に。
 小松政夫にもよくモノマネされた。
 解説する映画は必ず三回以上は見ていたらしく、どんな駄作も三回見れば何か一つは良い所が見つかるとの考えもあったらしい。
 この番組には死の前日まで32年間、一度も休む事なく出演し続けていた。

淀川節
 日曜洋画劇場の冒頭には「はい、またお会いしましたね」、最後には「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」と言う。
 当初はサヨナラの回数は決まっていなかったが、中学生が「『サヨナラ』と何回言うか賭けをしている」と聞き、サヨナラの回数は三回と決めた。

吹き替え>字幕
 「吹き替えはセリフのノーカット、字幕は二行しか表示できないためどうしても要約があるし、複数が同時に喋る場面にも対応できない」との意見を持っていた。

解説のみのDVD
 映画本編が一切無い、淀川長治の開設のみが入ったDVDが販売されている。
 ボックスセットまである。

部落差別問題
 あるインタビュー記事で、実際には差別に反対する立場だったのに、特定の部分だけ問題視され、糾弾されたことがある。

ゲイ
 子供の頃から同性愛者であり、カミングアウトもしている。
 太った男性が好みだったらしい。

生涯独身
 同性愛者だっただけでなく、淀川家の血筋を絶やさぬためだけに妾にされた母の復讐のために子供をつくらないと著書で述べている。

映画選びのコツ
 「男しか出ていない映画に駄作無し」との言葉がある。

雑誌では毒舌
 テレビでは語り口から優しい印象を持つが、雑誌ではかなり毒舌。
 特にブラッド・ピットやジム・キャリーがボロクソに言われている。


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2013年05月07日

三宅 久之

「日本の問題点」をずばり読み解く


イケメン
 若いときは超絶なイケメンだった。
 その後、ハゲる。

座右の銘
 愛妻・納税・墓参りを座右の銘としていた。

盟友
 読売新聞社会長の渡辺恒雄とは新聞記者時代からの友人。
 テレビなどで渡辺恒雄からの手紙を読み、代弁する事も多かった。

西山事件
 取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩したとして逮捕された西山太吉の直属の上司だった。

人気コメンテーター
 毎日新聞社を退職した後はフリーの政治評論家として、テレビにも度々出演。
 様々な人物と激論を繰り広げる様が受け、人気コメンテーターに。
 特に田嶋陽子とのバトルが有名。

たかじんのそこまで言って委員会
 たかじんのそこまで言って委員会では、最高顧問としてレギュラー放送開始時から出演。
 戦中戦後をリアルに知る政治評論家として、多くの視聴者から支持を集めた。
 たかじんは「三宅さんが死んだらこの番組を終了させます」と公言していたが、三宅からの「今後も番組を続けるように」との言葉により、死後も番組は続く。

ポン助
 間の抜けた発言をする人物に対してはポン助と呼んでいた。
 おそらくアンポンタンからとったと思われる。

バカなこと言うもんじゃありません!
 おかしな発言をするものには、「バカなこと言うもんじゃありません!」と怒鳴ってから自論を展開するのが癖。

好奇心
 70歳を過ぎてからもパソコンに興味を持ち、ブログやフェイスブックを始めるなどしている。

偽者現る
 死後ツィッターにて三宅久之を名乗るアカウントが出現する。
 これに民主党の細野幹事長が釣られて恥をかいた。
 この事は「死せる三宅久之、生ける細野豪志を走らす」なんて言われる事も?


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2010年09月30日

岡倉天心

日本文化の発信者
日本美術院の創設者であり、東京藝術大学の設立に大きく貢献した。
仏教排斥運動に対しては、保護を訴え、数多くの仏像を守り、「茶の本」などを英文で出版し、日本の文化を世界に紹介した。
横山大観、下村観山、菱田春草らの師匠でもある。

バイリンガル
子供の頃から英語が堪能だった
9歳の時には、現地人にひけをとらぬ英語力を持っていたらしい。
しかし、漢字がまったく読めず、自ら国語の勉強をさせてくれと願い出て、寺に預けられる事となった。
米国での滞在中には、日本人だという事で「何ニーズ?」とからかってくる外国人相手に、「あんたこそ何キー? ヤンキー? モンキー? ドンキー?」と、英語で見事な切り返しをして相手を黙らせた。

東大卒の未成年
当時、義務教育などの制度が整っていなかったため年齢が若くても大学に入学できた。
そのため、天心は19歳で東大を卒業している。
卒論は当初、「国家論」を二ヶ月かけて書き上げたが、妻がヒステリーでその論文を燃やしてしまったため、2週間で「美術論」を英文で仕上げ提出した。
結果、成績が下から二番目となる。

転落
九鬼隆一の妻である初子と不倫関係に。
徐々に生活が乱れていき、酒びたりの生活を送る様になった。
そして、美術学校の校長を辞職せざるを得なくなる。

酒豪
一日に二升ともいわれるほどの酒好きだった。
弟子の横山大観も酒好きだが、元々は下戸。
天心から「酒もタバコもしない人間が絵など描けるか」言われたため、酒を飲む様になったとか。


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