2010年10月18日

シュヴァイツァー

アフリカの聖人
50年以上もアフリカで医療活動に従事した事が評価され、ノーベル平和賞を受賞したシュバイツァー。
医者以外にも神学者、哲学者、オルガニスト、音楽学者としても有能な人だった。

三十路からのスタート
21歳の時、「30歳までは芸術と科学を身に付けることを許されている。そして、30歳からは人間への奉仕に身を捧げよう」と心に決めた。
そして、その決意の通り、芸術家としてある程度の名声を得ていたにも関わらず、30歳から医学を一から学ぶ。
そして、八年かけて医学博士になり、アフリカのランバレネへ旅立った。

批判?
「ヨーロッパ人は兄でアフリカ人は弟」と言った発言や、現地では怒ってばかりで評判も良く無かったため、シュバイツァーを否定的にみる人もいる。
しかし、当時のアフリカの事情などを考えると多少怒りっぽくなったりするのは仕方が無いかなと個人的には思いますね。
実際、医者というよりも大工として建物を作ったりと様々な苦労があったようです。

好物
風月堂からゴーフルが大好きだったらしく、ランバレネを訪れる日本人はゴーフルを持参するのが通例だったとか。

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2010年10月05日

野口 英世

野口英世 (おもしろくてやくにたつ子どもの伝記 (1))


大やけど
1歳の時に囲炉裏に落ち、左手の指が全部引っ付く様な大火傷をする。
手が棒みたいになってしまったので、「てんぼー」と言われいじめられた。
しかし、小学校の時、仲間の募金によって手術を受け、なんとか回復。
この経験をきっかけに医者を目指す様になった。

名前
野口英世はもともと野口精作という名前だった。
しかし、坪内逍遥の当世書生気質という本に、遊び人で自滅する野々口精作という登場人物がいたため、改名をしたくなる。
だが、当時は改名をするのは法律上困難だったため、別の集落に住んでいる清作という人物に頼み、近所の野口家に養子に入って貰った。
その上で、近所に野口清作が二人居るのは紛らわしいと主張し、野口英世と改名することに成功した。
ちなみに、母親の名前はシカで、姉の名前はイヌ。

お金にだらしない
千円札の肖像ともなった野口英世だが、金遣いはかなり荒かったらしい。
留学資金などで大金を借りたりする事も多かったが、酒やギャンブルなど目的外の行為に使ってしまってばかり。
借金も多かった。

ストーカー?
教会で山内ヨネ子と言う女性に一目惚れしてしまい、偽名で何度もラブレターを出している。
しかし、山内家から教会に連絡が行き、神父から怒られる。
それでも諦めきれずに、何度も付きまとったり、家に上がり込んだりしてアプローチ。
プレゼントには頭蓋骨の標本を送ったりもしている。

結婚詐欺?
渡米資金を得るため、結婚を約束に斎藤ます子から300円もの大金を受け取った。
しかし、出発前のどんちゃん騒ぎで留学資金のほとんどを使い果たしてしまった。
そのため、留学費用は友人が高利貸しから借りて立て替えてもらったらしい。
しかも、留学後には結婚する約束だったが、結局、この約束も破棄。
友人宛の手紙には、斎藤ます子を「顔も醜く学がない」と語っている。

黄熱病
野口英世といえば、黄熱病の研究で有名だが…。
野口の作ったワクチンは南米では効果があったが、アフリカでは全く効果がみられなかった。
そんな馬鹿なと、部下のストークス博士をアフリカに派遣するが、到着後すぐに博士は黄熱病で死んでしまう。
じゃあ、俺がと今度は野口本人がガーナに行くが、黄熱病にかかり亡くなる。
実際には野口のワクチンは黄熱病ではなく、違う病原体のワクチンだったらしい。
黄熱病の病原体は当時の顕微鏡では、発見する事は不可能だったとか。

美化されすぎ?
日本では子供の頃に野口英世の偉人伝を読んだ人も多いと思いますが…。
野口英世は自分の伝記を読んで「あれは作り話だ」と言った。


posted by 偉人マニア at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 医者・医学者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする