2013年09月08日

平将門

平の将門 (吉川英治歴史時代文庫 (46))

平将門の乱
 935〜940年に起こった出来事。
 自らを新皇と名乗り、都に宣戦布告。
 各地を次々と攻撃した。
 最後は朝廷が動き出すが、その前に藤原秀郷、平貞盛により打たれてしまう。

さらし首
 見せしめのために七条河原でさらし首にされるが、首は毎夜青白い光を放ち、いつまでたっても腐る事はなかったとか…?
 三日目には首だけが飛び、関東まで飛んでいった。
 最後に落ちたところが東京の大手町で、そこに首塚が建てられた。

呪い
 関東大震災により、当時、大手町にあった大蔵省庁舎は全焼。
 そのため将門塚も含めた一帯が整地されることになり、塚を壊して大蔵省の仮庁舎が建築された。
 その後、役人の中から怪我や病気にかかる人が続出。
 わずか2年の間に当時の大蔵大臣である早速整爾から14名が亡くなった。

 将門の死後1000年にあたる昭和15年5月6日には大蔵省に落雷があり、建物が炎上。

 1945年、GHQが首塚周辺に駐車場を作ろうと掘り出すと墓石が出現。
 取り出そうとするとブルドーザーが転倒し、2人が死亡する。

背を向けてはならない
 首塚の周りのオフィスでは、祟りを恐れて将門塚に対して背を向けない様なデスク配置になっているらしい。

北斗七星
 平将門ゆかりの神社として、鳥越神社、兜神社、神田明神、将門首塚、筑土八幡神社、水稲荷神社、鎧神社があるが、これらを繋げると北斗七星になるらしい。 
 家康が幕府の安定を祈願して張った結界とも言われている。

爆笑問題
 爆笑問題の大田はブレイク前に首塚にドロップキックをしたことがある。
 その後、全く仕事が来なかったとか…。

ビートたけし
 将門塚を靴で叩いたら、車のタイヤがパンクし電柱にぶつかって半壊したらしい。

サラリーマンの味方?
 ビジネス街に存在する首塚だか、首塚だけにクビを切られそうなサラリーマンがよく参拝しにくるらしい。
 また、将門の首が京都から関東に帰ってきた事から、左遷されそうなサラリーマンからも支持を受けているとかいないとか…。


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2010年11月16日

豊臣秀吉

最強の成り上がり
農民から足軽、そして才覚のみで天下人へ。
人心掌握に長けており、人たらしの天才だった。

ブリのごとく
出世する事に名前が変わる。
日吉丸から木下藤吉郎秀吉、羽柴藤吉郎秀吉。
そして最後に豊臣秀吉。


生まれた時から猿にそっくりだったらしい。
信長からは猿とか禿げ鼠と言われ、偉くなってからも猿関白と悪口を書かれる事があった。

草履
信長の草履持ちをやっている時に、自分の懐に草履を入れて暖めた。
その気遣いに信長は萌えたらしい。

一夜城
美濃攻略時には、数万本の材木をイカダにして川を流す事により運んだ。
そして墨俣に一瞬にして城を築いたと言われている。
ただ、この話は後に作られたものという説があったり…。

英雄色を好む
女好きで側室は何十人もいたとか?
中には十歳の幼女もいたらしい。
ただ子供は少ない。
また男色への関心も全く無かったらしい。

寝取られ?
秀吉と淀殿との間の子供である秀頼。
しかし淀殿が懐妊した時は秀吉は朝鮮出兵のため九州にいたし、健康状態も良くなかった。
そのため、秀頼の父は大野治長ではないかという説もある。

愛煙家
当時、日本に入ってきたばかりの煙草を薬だと信じて、よく吸っていたらしい。

指が六本
秀吉は指が六本あったという説がある。

温泉好き
温泉が大好きだった秀吉。
特に有馬温泉には何度も訪れている。

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2010年11月07日

上杉謙信

越後の虎
生まれた年が寅年だったため、虎千代と名づけられる。
そこから長尾景虎、上杉政虎、上杉輝虎と名前を変えていく。
謙信は法名。
越後の龍という呼ばれ方をする事もある。

軍神
七歳の時、林泉寺に預けられ、そこで14歳まで学問を学ぶ。
武神毘沙門天の熱心な信仰家でもあり、自分の事を毘沙門天の化身だと思っていたらしい。
本陣の旗印にも「毘」の文字を使った。

川中島の決戦
武田信玄との戦い。
十二年間に五度も戦っているが、引き分け。
戦国史上に残る名勝負。

アベする
二十七歳の時、突如引退を宣言し、出家のためにと山篭り。
しかし周りに説得され戻ってくる。

敵に塩を送る
信玄が今川氏真によって塩止めを受けた時は、氏真を卑怯と批判した。
そして、「俺は戦いで決着をつけるつもりだから、越後の塩を送ろう」と言い、信玄に塩を送ったらしい。

ライバルの死
信玄の訃報を聞いた時、「惜しい武将を亡くした。英雄とは信玄の様な人物を言うのだろう」と言って泣いたとか、いないとか…。

手取川の戦い
謙信と信長との戦い。
柴田勝家を総大将とし、明智光秀・羽柴秀吉・滝川一益・丹羽長秀・前田利家・佐々成政ら3万の織田最強軍団をフルボッコにした。

五戒
毘沙門天になるため五戒(殺生戒、邪淫戒、妄語戒、倫盗戒、飲酒戒)を誓った。
しかし、殺生と飲酒は止める事は出来なかったので、せめて残りの三つは守ろうと一生独身で過ごした。
子供は全員養子。

一人酒
大の酒好きであった。
しかし、他人と酒を酌み交わすような飲み方を好まず、一人で梅干だけを肴に飲んでいた。

死因
四十九歳と若くして亡くなった謙信。
死因は不明だが脳溢血というのが有力らしい。
亡くなった場所が便所だったので、気張りすぎて死んだと言われたりもする。

血液型
遺品などから謙信はAB型だったらしい。

男色?
生涯不犯を貫いた謙信だが、これは生涯独身であるという意味であり、実は男性とは結構交わっていたのでは…という話も。

実は女性?
体が小さく女性的な面も持ち合わせていた謙信。
生涯不犯で、死因が婦人病という説もあったりと、謙信は実は女性だったのでは無いかという説もあったりする。

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